【要約】イケハヤ氏おすすめ「善人ほど悪い奴はいない」(著:中島義道)

イケハヤさんがいつだかVoicyで紹介していた書籍です。Amazonのリストに追加して放置していましたが、読む時がきました。

オレって善人なのかもしれない…
と不安というか危機感を感じたためです。
痛烈な表現と皮肉めいた表現が多く、クスクス笑いながら読むことができました。
駅での「黄色い線の内側までお下がりください」「駆け込まないでください」「閉まるドアにご注意ください」といった放送を「バカ管理放送」と揶揄しています。
そういったことに共感するようなかたは、「中島義道」さんの書籍を読んでみるのがいいでしょう。
自分が善人かもしれないと不安に思ったから。
善人ではない。しかし行動が足りない。
- 善人=自分と向き合うことができなかった者
- 自分に問うことをやめてはいけない
- 世の中、正しいだけでは生きていけない
- 正しい、正しくないで考えるのはムダ
- 自分に問うことを続ける(表現すること)
- 自分の考えを持ちながらも相手を尊重する
- 正しい、正しくないで考えない
- 子どもには世の中の狡猾さも教える
- 妻と教育方針を共有する
弱者=自分の弱さを正当化
弱者とは、自分が弱いことを骨の髄まで自覚しているが、それに自責の念を覚えるのでもなく、むしろ自分が弱いことを全身で「正当化」する人のことである。
善人ほど悪い奴はいない/中島義道/角川新書/P10
自分から逃げている人。正当化は「誰かや、何かのせいにすること」ですね。
自分は正しい

自分は弱い、だが自分は正しい。
ここで弱者は考えを転換させます。

自分は、弱いがゆえに正しい。

どうしようもない環境や欠陥を負わされている犠牲者である。苦しみを背負っている被害者だからこそ「正しい」のだ。
生まれつき恵まれたもの、報われているものは、苦しみを背負っていないから「正しくない」のである。
善良な弱者
自分が弱いことを全身で正当化する弱者、すなわち「善良な弱者」が完成されるのである。
善人ほど悪い奴はいない/中島義道/角川新書/P16

おれたちは間違ってない、世の中が悪い、政治家がわるい。自分ではどうしようもできない環境の中で頑張っているおれたちは正しいのだ。おれたちは善い人なのだ、善人なのだ!
これが弱者=善人といわれる流れです。
そもそも「正しい、正しくない」で判断するのはなぜでしょうか?
うちはうち、よそはよそ、放っておけばいいのに。人と比較するから「正しい、正しくない」という思考にたどり着くのでしょう。
では、なぜひとと比較するのでしょうか?
相手を尊重できないことが理由の一つだと思います。
自分の考え&相手のことを尊重する。

そういった考えもありますね。ステキです。わたしはこう考えています。
リスペクトたいせつです。
弱者は「弱さ」を生きる理由にする

自分は弱者だから、みんなができることを理解できなくてもしょうがない。
むしろ、弱者に合わせた社会にするべきである。
善人の最大の罪は「鈍感」であることです。

自分は弱者だから「◯◯するべきである」
弱者だから守られる権利がある、安全に生きる権利がある、恩恵を受ける権利がある。
弱いことを生きる理由にします。
弱いだけじゃ生きていけない
子供を「この」世の中で生きていくように育てたいのなら、この世の中が優しさや善意だけでは生きていけないことを教えなくてはならない。弱く優しい「いい子」を転倒させようと虎視眈々と狙っている子もまたいることも教えなければならない。
善人ほど悪い奴はいない/中島義道/角川新書/P34

- 電車でカバンを無くして見つからなかったら、あなたがわるいのである。
- 乗っていたバスが急発進して頭を打ったら、あなたがわるいのである。
- 駆け込み乗車をしてケガをしたら、あなたがわるいのである。
- 夜の街を裸同然の格好で歩いて痴漢にあったら、あなたがわるいのである。
わたしも同じ考えです。

- 看板の下には立たない(落ちてくるかも)
- 歩道で対向者とすれ違うときは、できるだけ歩道側に避ける
- 駅では最前列で待たない
- 電車内ではなるべく座らない
- 電車内で寝るときはリュックのショルダーに腕を通す
- 背後に人を立たせない
- 交差点で待つときはガードレールや電柱の後ろで待つ
- 駐車場では角に停めない(内輪差でぶつけられる)
- 知らない人からもらったものは食べない
つまり、デューク東郷(ゴルゴ13)を目指せばいいのです笑
痴漢や窃盗を正当化しているわけではありません。対策しましょう、未然に防止しましょうってわけです。自己防衛…?
煽り運転は特に気をつけています。気づいたら車間が縮まっていたなんてことがありますけど、「煽り運転された!降りろ!」と逆上されてもしょうがないのです。だって、わたしが車間を詰め過ぎてしまったのですから。
後ろから煽られたらあなたがわるいのです。だって、あなたが遅いのですから。法定速度を守っている?そんなの関係ありません。「正しい正しくない」だけでは通用しません。煽られたらとっとと譲りましょう。
自分自身に問うことをやめてはいけない

なぜ今日も会社に行くのか?

なぜ今日も学校に行くのか?
なぜ、問わないのか?勇気がないからである。問うてしまうと、自分が崩れてしまうかもしれないから、そうすると社会で生きていけなくなるかもしれないから、
善人ほど悪い奴はいない/中島義道/角川新書/P71

耳が痛いですね…
ちょっと自分に問うてみます。
なぜ文句を言いながら働いているのか?辞めればいいのに。生活があるからやめられない?子どもがいるからやめられない?子どもや家族のせいにするな。その選択をしているのはお前だぞ。
自分に問うてみるとこんな感じですね…。もっと突き詰めたら自分が崩れてしまいそうです。
見返りを求めた優しさ
善人は優しい。自分も他人に対して優しいが、何より他人から優しくしてもらいたい。善人が他人に対して優しいのは、自分が他人に優しくしてもらいたいからであり、他人に優しくしていれば自分が安全だからである。
善人ほど悪い奴はいない/中島義道/角川新書/P82

他人に優しくしていれば、自分がなにかをしたときも優しくしてくれるだろう。
弱者なりの防衛行動ですね。見返りを求めた行動です。そして、見返りが得られなかったとき、「この前、優しくしてあげたのに!」と逆ギレします。

いじめられっ子には優しくしません。え?優しくするメリットあります?
優しくしたいからではなく、自分を守るために優しくするのが弱者です。

わたしは、見返りを「求めた」優しさではなく、見返りを「期待した」優しさならいいと思います。
見返りがなければそれまで。
自分と向き合った弱者は強い
弱さにすこしでも傾くと自分が崩れてしまうことを知っていたからこそ、ニーチェは自分から弱さをあれほど遠ざけた、とは言えないだろうか?
善人ほど悪い奴はいない/中島義道/角川新書/P201
自分が弱者であることを認めた者は、対策をとり強者になることができます。
自分を問うことから逃げた者は、自分が正しい、強い、と正当化します。
- 強者=自分と向き合うことができた弱者
- 弱者=自分と向き合うことができなかった強者
さらにわかりやすくすると
- 現実の強者=本当は弱者
- 現実の弱者=本当は強者

誰が弱者で、誰が優しいのかわからなくなっちゃいますね。
まとめ
この書籍の中でいちばん重要だととらえたのは次のワードです。

弱者=善人=「自分と向き合うことができなかった者」
それではまとめです。
自分が善人かもしれないと不安に思ったから。
善人ではない。しかし行動が足りない。
- 善人=自分と向き合うことができなかった者
- 自分に問うことをやめてはいけない
- 世の中、正しいだけでは生きていけない
- 正しい、正しくないで考えるのはムダ
- 自分に問うことを続ける(表現すること)
- 自分の考えを持ちながらも相手を尊重する
- 正しい、正しくないで考えない
- 子どもには世の中の狡猾さも教える
- 妻と教育方針を共有する